ほんのちょっとの我慢や譲り合いを束縛とか強制と感じる人達はご自慢のキリスト教から一体何を学んだのかなぁって思うんだよね。
日本がすごいんじゃなくて世界が残念なだけだよ。
民度のレベルが違う
俺の自由を奪うなって言いながら誰かの行動を制限してるのに気づかないから…
>>6692
本文コメント見るぶんに、「ルール」って言葉自体に妙に抑圧的な印象持っちゃってる人が多い感じだね。
日本人的にゃ「よそ様の自由を極力侵害しないための決め事」をルールとかマナーとか呼んでるのとはまたちょっと違うように思われるよ。
自由と無法は違うという事です
日本には自由がありアメリカには無法が蔓延している
100円ショップで売っている、お菓子を小分けに入れたりできるビニールのジッパーバッグが結構便利
特に中身が見えない柄タイプ
キャンディの袋とかティッシュとか、ちょっとしたゴミを入れておくのに良い
汚れたら丸ごと捨てられるし
>>6699
何かで見たけど、彼らにとって「ルール」というのは支配者が理不尽に押し付けて縛るための鎖という意識があるそうで
看板にはいいこと書いてあるのに、英語が間違ってるの悲しいわ
無料のAIでも使えばすぐにわかるやろうに。
いろんな人が集まってる街なのになんで手を抜くんやろう
ようこそ、義務と責任の国へ
各々が自由を追求するあまり、ことあるごとに私権と私権をぶつからせてその都度お互いの妥協点を探るなど非効率極まりない。
ルールとはおおむね中央値の妥協点である。
バカは自由はタダじゃない、ってのが分かってないのよな
好き勝手したければ、他人の迷惑がかからない場所を確保するなどのコストを払うとか、他人に迷惑をかけてしまったら罰を受けるとか、代価・代償が必要というだけ
金や権力を持ち、他人からどう思われても構わないし、罰も受け入れるってのなら好きにするのは確かに自由
交通ルールを守るから安全に車を走らせる
ルールを無視して自由に運転したら死ぬぞ
同じ様に社会でルール無視して自由にやってると死ぬ
>どこにでもある自動販売機の横には、
必ずゴミ箱が設置されてる!
自販機に併設しているのは空き缶やペットボトル入れだ。ゴミ箱じゃない、ゴミを入れるんじゃない
いつも迷惑してるんだぞ。なんでこっちが分別して出し直さないといけないんだよ
※6705補足
あくまでもルールを作る者を自ら選べたり罷免出来たりする民主主義国家でのみ妥協点として機能する。
規則あるいは規制、作法って言葉で書くのとルール、マナーって言葉で書くのとでは受け取り方も違ってくるよね。
アメリカ人?の反応見てるとこの微妙なニュアンスが伝わってないんじゃないかと思う
義務と権利が理解できず、自由だけ貪ろうとする動物だからルールを守れない。
長年失敗しながらこうした方がいいよねって改善繰り返して積み重ねてきたものだからいざ急にルール決めて守れるかと言うと人が納得しないかもしれない
神というが、日本にいるのはお前らの神ではないんだよな
出張所みたいなのがあるだけで
無法と自由の違いも分からないとは…これは相当だな
海外の動物のような存在達には民主制はまだ早いと思うよ。
感情の赴くままに動く動物のままだからね。
自由を主張してルール軽視する奴は
他人も軽視してるからいつか犯罪もする
ホッブスは自然状態では「万人の万人に対する闘争」になると予言した。
東日本大震災直後無法地帯となった日本で助け合う集団が立ち上がったのを見てサンデルは人の本性か共同体主義だと確信した。
欧州も昔は自然と共生する多神教社会だったが、キリスト教がその絆を断ち切り、神と個々人の契約に組み替えた。
スミスは個々人が倫理観を持って合理的に行動すれば神の見えざる手が過不足を調整してくれると言ったが、倫理観が人によって違うから悪い方に収斂して行くのだろう。
管理人さんが冒頭で述べたように
"自由"の概念が日本と海外で確かに違うのかもしれない
libertyやfreedomでは訳せない何か。
無法地帯の自由よりも、縛られたルールの中の自由の方が全然いいよねってこと
日本人が無意識に行動していることに対してマナーが良いとかルールがどうと外国人が言っているだけなんだよ。当の日本人は何を守っているのかすら分からないのに、それを窮屈やらなにやらよく分からないことを言ってる。ルールより義務教育をなんとかしたほうが良いよ。
そもそも現代日本で通用している自由の概念は西洋哲学から輸入したものが理論的な枠組になってるのでは?
もちろん、日本の歴史的経緯(封建制など)がそれを西洋の自由から概念的にずらしつつ根拠づけたのだと思うけれど、元々は西洋近代の概念だったはず。
現代アメリカもそういった自由の概念の上に成り立っていたはずなんだが…
>>6719
>欧州も昔は自然と共生する多神教社会だったが、
この話の本質は宗教の変化によるものじゃない。その地域に根差した価値観そのもの。平たく言えば、農耕民族と狩猟民族の違い。
農耕民族は土地を離れられない。豊かになりたければ開墾して耕すしかない。奪い合って協力する人がいなくなれば、開墾して田畑を広げるどころか、今ある田畑から十分な収穫を得るための労働力すら失って全てがダメになる。
狩猟民族にこんな概念はない。豊かになりたければ手っ取り早く奪えばいいだけ。後々禍根を残さないように相手の一族を徹底的に探し出して潰していくことすら、それが「後の自分の一族のため」になる。
日本の戦国時代と中世ヨーロッパの戦乱の一番の違いはここにある。大将が首を差し出したら終われる(労働力の減少を防ぐ仕組み)なんてのは農耕民族の概念。
敵対したら徹底的に潰してきた狩猟民族の本質からすれば、ルール作って仲良く共存することこそ違和感があると思うぞ。
治安をよくするには、外人をおい出さないと
ルール、マナーは人同士がお互いに折り合いをつけて生活するための知恵だってことをイチから教え込まないとダメなのかもしれない。
それがすなわち"社会"であり傍若無人な人はそこから排除されるってことを
つい先日、大谷君の動画が現地で注目されてましたね。
ベンチからグランドを眺める大谷君、その隣りにいた同僚が噛んでいたガムを口から取り出し、(ちょっと信じられないが)グランドに向けて投げる。大谷君は思わず二度見していて、彼が試合中にもバッターボックス付近のちょっとしたゴミを拾ったりすることを知っている外国人は「日本人らしい」と称賛してましたが、半数近くは「文化の違い」だとか「ここでは問題ない」だとかの意見でしたね。