当時と今じゃスタンスが違うだろうが、実際どうだろうね?
統治先に建てたもんは国策として行ってたんじゃねぇかと思うが、今の技術なら当時ほど気合入れんでも同等以上のもんは作れんのかねぇ?
さすがに偶然の要素のがでかいと思うのよ
でもたまたま残っただけでも、日本の残した建造物が住民の助けになったのなら良かったね
台湾の人は今の日本に概ね好意的だけど、複雑な思いの人もいるだろうな
ちょっと違うけど確かロシアでも戦時中に捕虜になった日本人が建築にたずさわった建物だけが震災でも無事だったみたいな話が以前あったな
ロシアに強制労働させられた日本兵捕虜が造った建物も大地震で壊れなくて他は殆ど崩壊したので避難所になった
地下鉄浅草駅なんか構造計算もせず職人の感覚だけで鉄筋とコンクリートを施工したので調査のために当時のコンクリに孔開けてコンクリと鉄筋を調べたら気泡が全く無い頑強なコンクリと全く錆びてない鉄筋が確認されあと100年は持つと言われたくらい頑丈だった
現代の建築でもここまで頑丈に造れないそうだ(笑)
一体当時の日本人は何者なんだ?専門家でもないのに感と手作業だけで現代建築を上回る建物を造るとか謎すぎるわ
今回は耐えたけどダメージ自体はあるはず
次も耐えてくれる保証はないから
くれぐれも気をつけてな 台湾加油!
これはメンテナスをしっかりしてた台湾がすごいだけやないか
手前の道路橋は落ちたのか、古い橋を残してあって良かったね。
橋そのものは、かなり安作りだから、両側の桁が頑丈だったかな。
さすがに偶然というか条件的に台湾製の方が不利やろ
外側の方が激しかったとか外側が崩れたおかげで和らいだとか
そもそも最初に作った方は崩れにくいと判断したからこそ、その位置に作ったんだろうし
いずれにせよ「日本製の手柄」という感じはせんやろこんな水平な橋…w
「しっかりしたを建築物ありがとう!」って、そんなこと言ってくれるのは台湾だけ
同じく日本がしっかりとインフラ整備したどこぞの半島なんて「これは日本による呪いのための建築だ!」なんてスピリチュアル全開の被害妄想クレームつけてくる始末だからなおさらそう思うわ
とりあえず台湾募金に寄付しときます
最後の意見が冷静で良いね。
100年前の物のほうが最近作った物より
現時点においても、より丈夫だというのはやはり考えにくい。
それと同じように、地震がある地域で100年前の橋が今も残っている事はそれ自体が当時良い物だった事を物語っている。
関東大震災が1923年だから、この橋の完成が1925年なら震災うけて思いっきり頑丈に作った可能性はあるな。
当時の技術じゃ緻密な計算して頑丈に作るというのは出来なかっただろうから、考えられる事は全てやったという感じじゃないかな。
ぶっちゃけたこと言うと昔の方が建材の質が悪い分、力学を使って重さを分散する構造にしているんだよね
今だと(言い方悪いけど)適当に造っても割と持つんで橋げたに乗っけるだけのような構造に近い
その結果想定以上のひずみがかかるとぽろっととれるように壊れる
だからと言って一概に昔の建設に時間がかかってアーチ形にしかならない橋の方がいいって訳じゃないのが難しいところ
なにはともあれ片方が残ったおかげで道路が完全に寸断されて孤立みたいなことにならなくてよかった
台湾頑張って
>一時的に機関車用にも使われてた
そりゃ丈夫なはずですよ。
戦前の機関車なんて軽い物で35t以上、重たい車両だと80t以上。重量だけでみれば戦車でも通れる強度。
半島とはえらい違い。日台友好🇯🇵🇹🇼☺️
日韓断交☠🤮
リンク先の寄付してきたけど、アマゾンペイで何も登録せず瞬時にできてよかった
凄“かった”ね...
同意
北朝鮮の水豊ダムなんか最たるものだよね
国内では将軍様が作ったことになってるらしい
教訓は、プランB・バックアップは用意しとけって事だな。
「アナログ~(笑)」とか言うバカ共はほっておいて新しい物だけに頼らないようにしないとね。
鬼怒川決壊のとき、ヘーベルハウスの家だけ無事だったという話題があったな
落石の影響が大きいんだろうけど、
古い橋は設計の最適化が難しかった当時、安全率をかなり多めにとって頑丈に作られている事が多い。
>>654
イイハナシダナー
今台湾現地の地震報道をよく見てるんだけどコメ欄に「日治時代」(日本統治時代の台湾での呼称)とゆう単語が出てきて議論になってるみたいなんだけど何を言ってるのか分からなかった
この橋が話題になってたんですね
韓国でも同じだよね
現代(げんだい)の建物は脆弱で震度0でも崩落するのに対し、半島を統治していた頃の日本製の建物はちょっとやそっとじゃ壊れないってな
いやこれは偶然じゃないよ。
関東大震災が日本の土木の耐震観を(一時的に)大きく変えた。だから関東大震災直後の建造物は(不必要に)頑丈なのよ。
おそらくこの橋も関東大震災以後のもの。
ウズベキスタンの「ナヴォイ劇場」だね
1966年4月26日のタシュケント地震では7万8,000棟の建物が倒壊したが
ナヴォイ劇場だけは無傷で市民の避難場所としても使われた
日本人捕虜は廃材で麻雀パイや将棋の駒を作ったり、食料を分けてくれた近所の子どもたちにオモチャをつくったりして楽しむことも忘れなかったらしい
近年作られたプレートの文言を書くときウズベキの大統領が「日本人のことを「捕虜」と書くな彼らは恩人だ」と命じたらしい
なんで壊れなかったのか気になるな
コンクリの質が違うのかな
関東大震災の直後に作られている物は割と頑丈に作られていると聞いたことがある
2階以上の部分の加速度を計算に入れていなかった旧耐震基準は、その基準ギリギリにつくったのでそれより前の建物より弱くなったらしい
その後の地震で改められた1981年6月以降の新耐震との差が阪神淡路ででた
旧道を残してあった事が勝利だと思うぜ
台湾の地震をダシにして日本アゲするのはマジでやめろ…