今回は、かつて台湾で教鞭をとっていた元教師の女性が、
台湾の教え子に手紙を送ったことから始まった物語から。
手紙の送り主は、現在熊本県在住の高木波恵さん、106歳。
大正時代に、警察官だったお父上と一緒に台湾に移り住み、
1929年から1938年の10年間、台中の烏日公学校(現・烏日小学校)にて、
低学年の生徒を教えていらっしゃったそうです。
手紙を送ったきっかけは、台湾映画「KANO」が日本で公開されたこと。
「KANO」は1931年に夏の甲子園に出場して準優勝を果たした、
台湾の嘉義農林学校((現・国立嘉義大学))を題材にした映画です。
高木さんは当時、嘉義農林高校を熱心に応援していたそうです。
この体験について朝日新聞熊本版から取材を受けたことで、
当時の教え子たちの消息が知りたくなり、手紙を出すことを決心。
娘さんに代筆してもらい、手紙を教え子の一人に送りました。
高木さんが送った手紙は地元の烏日郵便局まで届きましたが、
住所表記が変わっていたことから、宛先不明の状態に。
本来であれば宛先不明で高木さんの元に送り返されるはずでしたが、
日本からの分厚い、しかも毛筆で書かれた手紙であったことから、
配達員の郭さんは、「これはきっと重要な手紙なんだろう」と考え、
他の郵便局員にも声をかけ協力してもらい、近隣の住民に尋ねたり、
当時のことを知る人間を探したりするなど八方手を尽くして、
12日後にようやく、教え子の住所を発見。手紙が無事届けられることになります。
この話が、台湾史上第2位の興行成績を誇っている大ヒット映画、
「
海角七号 君想う、国境の南」に似ていることも相まって台湾では大きな話題に。
感動的な物語に、台湾人から様々な反応が寄せられていました。