今回は、フィリピンで英雄となった旧陸軍・山添勇夫大尉の物語から。
山添大尉は、昭和12年に軍に召集された後、
フィリピンのレイテ島ドラグ市にて守備隊長を務めておられました。
地元のフィリピンの方々に対して常に公平中立に接し、
住民と日本兵との親睦を深めるために、ラジオ体操、テニス、
バスケットボール、文化的なショー、ダンス、映画の上映などの機会を設け、
また、各家庭には食料不足を防ぐために裏庭で野菜を作ることを、
現地の子供達には、日本軍が作った学校で学ぶことを奨励されました。
現地の住民に愛され、尊敬されていた山添大尉でしたが、
昭和18年に、ゲリラとの戦闘で命を落とされました。
その戦闘の際にも大尉は、市民が巻き添えになることを危惧し、
住民の生活圏での戦闘を避けるべくゲリラ側と交渉。
大尉の提案は受け入れられ、結果多くの市民の命を救いました。
山添大尉の死を嘆いた市民たちは、昼夜を問わず教会の鐘を鳴らし続け、
さらには、大尉を讃えるために自発的に小さな慰霊碑を建立。
慰霊碑は後に、ドラグ市により大きな物に建て替えられています。
翻訳元では以上の情報と共に、「フィリピンの英雄」として大尉を賞賛。
フィリピンの方々から様々な反応が寄せられていましたので、
その一部をご紹介します。
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