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パンドラの憂鬱

外国メディアの記事などに寄せられた、海外の方々の反応をお伝えします


海外「日本の方が合理的だ!」 洋画の邦題が世界的に特殊すぎると話題に

洋画、洋書、洋楽などの作品名を、
日本語で付け直したものである邦題。
原題とはかけ離れたものになる事も少なくないですが、
翻訳元では、殆どの国では原題そのままであるにもかかわらず、
日本だけは意図的にタイトルを長くしていることが、
複数の例とともに指摘されています。

原題      邦題
・「エンカント」→「ミラベルと魔法だらけの家
・「ブレイブ」→「メリダとおそろしの森
・「モアナ」→ モアナと伝説の海
・「ルカ」→「あの夏のルカ
・「ソウル」→「ソウルフル・ワールド
・「タングルド」→「塔の上のラプンツェル
・「フローズン」→「アナと雪の女王
・「ディスピカブル・ミー」→「怪盗グルーの月泥棒
・「アップ」→「カールじいさんの空飛ぶ家
・「ラタトゥイユ」→「レミーの美味しいレストラン
・「ムーン」→「月に囚われた男


ここでは原題が単語タイトルの物を中心に取り上げられており、
邦題は内容をイメージしやすくするためか、
丸々変えたり、独自に言葉が付け足されている事が分かります。

この指摘に、外国人から多くの反応が寄せられていました。
その一部をご紹介しますので、ごらんください。

「日本らしさ全開だw」 日本の映画産業の特殊性が一目で分かるデータが話題に

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[ 2022/01/03 23:00 ] 社会 | TB(0) | CM(0)

海外「今こそ日本に感謝しよう」 ブルガリアの独立に貢献した日本人侍に再び脚光

今回は、日本陸軍の軍人、山沢静吾中将の話題からです。

山沢中将は江戸時代・弘化2年生まれの元薩摩藩士で、
戊辰戦争にも参戦し、1869年に御親兵として上京。
一度牧畜研究のためにアメリカに派遣されたのち、
1874年(明治7年)の帰国後は陸軍中佐に任官し、
陸軍生徒取締などとして今度はフランスに派遣されます。

そして1877年(明治10年)には、
観戦武官としてロシアに派遣されるのですが、
そこで山沢中将は、当時オスマン帝国領であった、
ブルガリアのプレヴェン包囲戦に自ら進んで参加。
ロシアの兵士たちを率いて戦う事になります。

戦闘時に山沢中将が通訳を介して兵士たちに伝えた、
以下の言葉が今に伝えられています。

「私はロシア語もブルガリア語も話せない。
 諸君も日本語が分からないから、戦闘中命令はしない。
 私の行動を見て同じ事をしてほしい。
 要件はただ1つ。稲妻のように素早く動くんだ。
 銃弾より銃剣と銃床を信じてほしい」


山沢中将達の活躍もあり、プレヴェン包囲戦はロシアが勝利。
結果としてオスマン帝国の衰退が決定的になり、
ブルガリアは自治国の地位が与えられる事になります
(同時にルーマニアも完全な独立を果たした)。
その後山沢中将の勇敢な功績が認められ、
ロシアとルーマニアから軍功賞牌が下賜されています。

帰国後は第4師団長として日清戦争に参加。
西南戦争・日清戦争の軍功を賞されて男爵を授けられ、
1897年(明治30年)に51歳で死去しています。

ブルガリアの独立に寄与した「侍」として、
山沢の功績は現地のネット上でたびたび話題に。
100年以上が経った今も、感謝の声が殺到していました。

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[ 2022/01/01 23:00 ] 社会 | TB(0) | CM(1)
ごあいさつ


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